第9回 変革期と持続可能性 ~ 維ぎ新ためる
葛生 伸(福井/高等教育機関/物理・技術者教育)
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近年注目されているSDGs(持続可能な開発目標)をはじめとして、さまざまな場面で持続可能性という言葉が見られます。「持続可能な」を意味する「sustainable」の動詞型 sustain は sus(下から)と tain(支える)という語幹からなっています。このように、Sustainable にはSDGsの「誰一人取り残さない」という意味が含まれているのです。
「持続可能」という言葉を聞いて、私がまず思い浮かべるのは、明治維新に際しての徳川慶喜の行動です。徳川幕府の幕を引いたのは徳川慶喜です。当時の幕府の力を持ってすれば十分抵抗できたはずなのに、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗北してからは、大阪城から江戸に逃げ帰り、上野の寛永寺で謹慎しました。この時、官軍として幕府を攻めたときの征討総督は有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王、参謀は西郷隆盛でした。この時、江戸の町を戦火から救うのに、将軍御台所だった静寛院宮(和宮)親子内親王と徳川家定の御台所だった天璋院(篤姫)の力が大きかったと言われています。静寛院宮は熾仁親王の元婚約者、西郷は天璋院の輿入れの準備をした人です。さらに、将軍慶喜の母は有栖川宮家の出身です。互いにつながりが深い人たちがなぜ何故か関わっています。
上野での彰義隊の戦いやその後の戊辰の役での戦闘はありましたが、徳川家は静岡に移り、幼少だった田安徳川家の家達(いえさと)が徳川宗家を継ぎました。家達は貴族院議員となり、貴族院議長を30年努めました。総理大臣にとの話もありましたが固辞しました。ロンドン軍縮会議の全権大使や、晩年には1940年に開催が予定されていた東京オリンピックの組織委員長なども努めました。ある意味で徳川家宗家の人が明治から昭和にかけて表舞台に立っていたのです。
徳川慶喜が考えていたのは、日本という国を残すことと、徳川家を残すことだったと思います。その意味ではどちらも望みがかなったわけです。他人に悪口を言われても、日本という国も、徳川家も次につなげたのです。明治維新の「維」にはつなぐという意味があります。その意味で維新という言葉は「維いで新ためる」(つないであらためる)と読み下すことができます。これからはいろいろな意味で大きく変わっていく時代になると思います。その時に大切なのは、つなぐべきものはつなぎ、改めることは改め、捨てるもの捨てることだと思います。それが持続可能性につながるのではないでしょうか。
これからは、政治体制が変わらなくても、自然環境や生活環境が変わることが考えられます。その時大切なのは「つないであらためる」という考え方ではないでしょうか。徳川慶喜が自分の名声と徳川幕府をすてて、日本という国と徳川家を残したように、何をすてて、何を残すかをよく考えて、次につないでいくことが持続可能性ではないでしょうか。
2025.5
第8回 「わかる」ということ
葛生 伸(福井/高等教育機関/物理・技術者教育)
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エネルギー環境教育に関わるようになったのは、 25年ほど前、児童生徒向けのエネルギー関係の演示実験ショーを頼まれてからでした。子どもたちが楽しめるように、イラストや比喩的な表現をもってストーリー性のある実験ショーをしました。子どもたちだけではなく、保護者たちも目を輝かせて話を聞いていました。その後、 PTAの研修講座、教員免許状更新講座、大学の教養科目でも、エネルギー啓発の講義をするようになりました。理科が苦手な人にもわかりやすいと好評でした。私自身にとっても、わかりやすい説明や演示実験を考えることで理解を深めることができるため有益なことでした。
私は新しいことを学んだとき、知っていることと結びつけて納得しないと、わかった気になれません。新しい言葉に拒絶反応すら覚えます。知っていることと結びつけて理解したり、いろいろなことをイメージしながら考えたりするうちに、だんだんわかったような気がしてきます。やさしい言葉で説明でき、その知見をもとに未知のことを拙くてもよいから考えることができれば私なりに納得できるのです。もちろん、それだけではありません。学び続けることでわかったつもりのものもわかっていないことに気づくことが多いのです。それを一生続けていくことが学びということではないかと思っています。
30年ほど前に大学で授業するようになってから、「わかる」ということを強く意識するようになりました。学生のレポートやテストの答案を見ていると、どうも私の理解の仕方と違うようなのです。私の理解の仕方のイメージは綿菓子づくりです。最初は割り箸に絡まりつくのに、ある程度絡まってくるとくっつきやすくなります。知識もいろいろ知っていることと結びつけてはじめて身についたように感じるのです。だから、知識が増えるといろいろな知識が身につきやすくなるのです。
一方、学生の学びに対しては個々の事項を記載した紙をファイルしているようなイメージを持ちました。似たようなことも、あまりつなげて理解していないように感じたからです。
10年ほど前から、「わかる過程」を「知っていることの仲間づくり」「教えあそび」「考えあそび」と表現するようになりました。私にとって子どもの頃から考えることが遊びだったからです。子どもの頃は人に説明するかわりに、頭の中で「ものわかりの悪いもう一人の自分に説明する」ようにしていました。このようなことを通じて、知っていることを脳の中で神経がニューラルネットワークを形成するようにつなげていくのです。そのためには、人に話したり、自分で考えたりすることが必要なのです。ネットワークを複雑化していくだけではありません。学ぶ過程で簡略化していくこともあります。脳を使って、学習して考えていくから当たり前かもしれませんが、ニューラルネットワークの形成と似ているのです。
2025.4
第7回 みらいを夢見る ~30年・50年は現実的な近未来?
葛生 伸(福井/高等教育機関/物理・技術者教育)
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エネルギー環境教育に取り組むようになってから、将来のエネルギー、環境、社会を考える際に他の人との意見の違いに違和感を覚えることが多くありました。将来の技術に関して私は「できる」と思って意見を言うと「できないだろう」と言われることがしばしばありました。私自身は、新しい技術の発展に期待し、「できる」と考える癖があるように思います。ただし、私が「できる」と考えるときには、30年後、50年後を考えてしまうのです。それに対して、多くの人は今の技術で「できる」「できない」と考えてしまう人が多いように感じます。この辺り違いはある意味でその人の「思考のクセ」によるものかもしれません。
関西WSでは、活動的でエネルギー環境問題に課題意識をもった学校の先生方の発表を楽しみにしています。実践報告に対する意見交換を通じて、視野を広げたり、考えを深めたりするきっかけとなりました。その中で、将来のあり方を考える実践や将来技術を考える講演が数多くありました。その中で、いつも疑問に思っていたのは、将来といってもどれくらい先のことを考えているのかということです。
子どもたちの将来を考えると、 30年、50年は現実的な近未来です。私は大学を卒業して50年あまり経ってしまいました。大学は定年退職しましたが、非常勤講師や児童・生徒の探究プログラムなどに関わるなど通じて教育に携わっています。
30年先の多くの子どもたちが40代の働きざかりでしょう。50年後もほとんどの人が働いているのではないでしょうか。したがって、30年先、50年先に世の中が「どうなるのか」「どうなってほしいのか」を考える習慣をつけることが大切ではないでしょうか。私が大事にしていることは、否定的に考えられることに対しても肯定的に考えてみることです。さらに、歴史や過去の経験から学びつつ、将来のことを考えてみる姿勢をもつことです。
私が小学生の昭和40年前後に父から、将来は液晶を使ったテレビができるだろうという話を聞かされました。実際に液晶テレビが普及したのはそれから40年近く経ってからです。
私の最も尊敬する経営者である早川徳次氏は幼少時に継母から幼児虐待を経験しましたが、大家さんのおかみさんにたすけられ、飾り職人に弟子入りします。独立してから、イギリスで使われていた機械式鉛筆を改良してシャープペンシルと名付けて大ヒットさせます。関東大震災で妻子とシャープペンシルの販売権を失い、大阪にでてから放送開始前に時計店で見たラジオを自分で作って販売をはじめます。その後、会社内に学校を作ったり、障害者雇用したりしています。戦後いち早くテレビを発売しましたが、将来液晶テレビができるはずだと液晶テレビの開発を進めるためにブラウン管の製造はしなかったそうです。液晶テレビの実用化にはさらに長い年月を要しました。日頃から社員には「まねされるような製品をつくれ」と言っていたそうです。
数々の困難を乗り越え、将来を見据えながら、従業員への貢献も含めた企業の社会的責任を果たした早川徳次氏から学ぶことは多いと思います。
2025.3
第6回 エネルギー環境教育と放射線教育
松本 昌子(大阪/小学校/専門教科:算数・数学)
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エネルギー環境教育を考えると、日本の学校教育には、放射線教育が必要だと感じています。なぜなら、原子力発電について議論をするには、私たちの放射線に関する学びが足りないと考えるからです。
以前、マスコミが『放射能放出』と報道していたと聞いたことがあります。今は、そのようなことはないのかもしれませんが、正確な情報を発信すべきマスコミも知識不足ではないかと感じます。放射線に関する基本的な知識は、義務教育で押さえるべきです。
最近、小学校4年生の児童が、指の打撲でレントゲンをとることになったのですが、「レントゲンって何?」と尋ねられ、子どもの実態と自分の認識のずれに驚いてしまいました。身近に利用されている放射線についての知識を得る機会がない子どもに、学びの場を設定するのが学校教育であると痛切に感じました。しかし、現状を考えると、道徳教育改革時のように、放射線教育を小学校から系統的な学びになるよう学習指導要領を改訂するくらいでなければ、全国的な放射線教育は、遅々として進まないように思われます。
教員の学びも必要であると考えています。10年程前の夏、堺市の教員研修で、大阪府立大学(現 公立大学)を訪れ、チェレンコフ光を見た記憶があります。その後、放射線教育に関する小学校教員の研修は何もありません。教員が放射線について、専門家から知識を得られる場が、近くにあるのにもったいないなと思います。子どもに教える専門家である教員と原子力の研究者が連携することにより、より分かりやすい放射線教育の内容を構築できるのではないかと考えます。
3年前には、とある学校の自然科学クラブが、放射線の性質などについての生徒のレポートを掲示していると、管理職が「こういう掲示は困る」と顧問に言ったそうです。学習指導要領に記載され、中学校理科で放射線の学習がなされるようになっても、このような話があります。ですが、教員自身の学びの深まりによって子どもの学びを妨げるような言動は、改善されていくのではないでしょうか。
エネルギー環境教育の指導にあたっては、教員はファシリテーターとして、児童・生徒は相手を論破するのではなく、対話的に考えを構築していく形が良いと考えます。持続可能なエネルギーと地球環境の両立を考えることは、建設的な話し合いの過程を学ぶことができる題材になると考えています。
藤川 陽子教授(京都大学複合原子力科学研究所)が、講演会『福島とウクライナにおける環境調査結果とウクライナ戦争の環境影響』の中で、福島第一原発事故が起きた際は、東京も危ないと言われていましたが、大丈夫であったことに触れていました。改めて、そうだったなと思いました。チェルノブイリとは異なる、ともおっしゃっていました。見方を変えると感じ方も変わります。
多角的多面的な視点をもって多種多様な見方、考え方を知ることは、エネルギー問題など答えのない社会課題を議論する上で、大切なことです。相手の意見を傾聴し、それぞれの意見や立場の違いを理解する柔軟性をもち、多様で複雑な価値観を認め合い、協調的かつ主体的に納得解を導いていくことができれば良いと思います。そのことが、これからの変化の激しい社会を生き抜く力、すなわち、解決すべき課題を見いだし、主体的・協働的に解決する力を育むことにもなるのではないでしょうか。
2025.3
第5回から第1回
第5回 工業高校教員のひとりごと
坪内 善男(京都市/高校・工業/専門教科:電気)
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2006年、管理職から「工業高校のPRに出前授業をやって欲しい」と言われ、自動車用の発電機で手回し発電の教材を製作して地域の企業と合同で小学校向けに出前授業を数回行いました。すると今度は「ぜひともエネルギー教育実践校(資源エネ庁のエネルギー教育支援事業)の申請をして欲しい」との要望が・・・。こちらは電気主任技術者第三種(通称電験三種)という高難度の資格取得の受験指導を毎日おこなっているんやけどなあ、と思いながらも申請をすることに。
『今エネルギー・環境問題に取り組まなければ“末代への恥”と考えます。例えば宮大工は千年先を見通して神社・仏閣を建てます。その足元にも及びませんが、電気技術を生かし従来の発電・再エネ等を含め、総合的に地域と連携し研究し、生徒も学校も近隣も活性化したいと考えます。』
と計画書を出したところ、お陰様で認定となりました。現在、残念ながらこの制度はなくなってしまいましたが、復活を望むのは私だけではないはずです。
2011年3月11日、東日本大震災による津波の影響で起きた福島第一原発の事故により、特に電力に関して「ああしろ。こうしろと。」様々な意見がマスメディアを通して入ってきました。「へえ~そんな考え方もあるのか」と思っていたものの、一緒に電験三種を勉強している生徒が「先日テレビで原発やエネルギーのことを話ししていた某有名人の方だけど、電気の事を理解せずに?しゃべってましたね。」と報告に来る。「よく気が付いたな。それに気が付いただけでも勉強した甲斐があるな。」「テレビに出ている方の話す内容がすべて正しいとは限らない。これは正しいのか正しくないのか、疑ってかかるところから哲学がはじまる。」と返しました。
将来電力・エネルギーをどうするか?国民的な課題でしょう。様々な意見・考えをまとめていくのもある意味民主主義なのかもしれません。
しかし、最近では、相手を黙らして論破したもの勝ち?SNS等で意見を言ったもの勝ち?炎上させたもの勝ち?になってやしないだろうか?過去の名言を紐解くと、かつて戦後この国を進駐したダグラス・マッカーサの「この国の人間の精神年齢は12歳」とか、テレビが全国ネットワークとして普及したら「一億総白痴化」等々頭をよぎりますし、ある意味うまく的を得ているな~と感心してしまいます。
テレビ番組での討論会等においてはプロの電力技術者の声を無視?して喧々諤々とやっているのはいかがなものか?と考えるのは筆者だけだろうか。電力会社に対しては、「原発事故をおこしたやろ。原発施設を保有しているやろ。」で、“性悪説”にしているから無視を続けるのか、と考えます。
最後に、将来はどうなっていくなかな?私は工業高校の電気専攻の教員の端くれなので、ありきたりですが、生徒が高度の技術とモラルを持って産業界に巣立っていき、電気業界・工業全体・資源エネルギー・環境等がよりよく活性化する様に、はなはだ微力ではありますが、毎日生徒の背中をうまく押して上げれるように、教育活動したいなと考えます。さらに自己研鑽のためにもエネルギー環境教育関西ワークショップで勉強したいと考えます。
2025.1
第4回 教育実習で学んだ一生の宝「太陽エネルギー」
ジュニ竹内(東京/教委/専門教科:探究・部活支援)
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なぜ教育実習で「教える」でなく「学ぶ」なのか?与えられた単元の「太陽定数」は私自身すら中学時代に教わってない「初耳」だったのだ。太陽定数を測定する実験器具が教材で提供された。樹脂製容器に温度計を差し、温度変化を測定する原理である。
昼休みに一人で校庭で測定していると、「何、やってんの?」と生徒から声が掛けられる雰囲気が当時はまだ残っていた。与えられた単元課題を実測してデータをグラフ化し、当時はまだ OHP 透明シートでプレゼンする時代だった。理学部・地理学科で入学し、生物学科を卒業した私は地学と生物の複合領域に関心がある。太陽定数も心が惹かれたので、自分で考えた条件を設定し①太陽光線の入射角を変える、②受光面の色を黒と白に変える、③受光面にフェルトを貼る、④受光面を濡らす、⑤蓄熱槽の容積を変える工夫を凝らした。測定結果のグラフを提示しながら、考察する授業を試みた。
私から生徒に要望したのは一点。「各自が絵本を創作するイメージをして貰う」ことだけ。教育は教員と生徒が織りなす「共同制作」というのが私の教育理念で、マンガやアニメ作品を通じて学んだ。教員も楽しむから生徒も一緒に楽しんで貰うようデザインした:①入射角の違いは朝夕と日中 の暑さの違いを説明し、②色の違いは黒い車と白い車の車内温度の差を理解し、③受光面の素材の違いは、植え込みかコンクリートの路面かの違いを示唆し、④受光面から水分が蒸発するまで熱で奪われ、夏の打ち水効果を実証し、⑤容量の差は熱しやすく冷めやすい熱容量だと理解した。新発見とは無縁だったが当時の経験は、今でも日々の天気予測に活きている。
母校での公開授業には私の指導教官が世田谷区から来てくれた。現在では親水公園のある美しい都市景観だが、当時の江戸川区は下水道がなく家庭からの生活排水が流れ出し、真っ黒いヘドロが蓄積したドブ川の状態。部活では硫酸還元菌の培養をデモ実験し、硫化水素が発生し「臭い臭い」と大騒ぎする一幕もあった。
当時「科学教育センター」活動を通じ、偏差値導入以前の本格的な科学教育を私は甘受した。 区を代表し科学技術館のホールで登壇した経験もあり、理科教員全員が研究発表に際して「事実と推測は区別しなさい」と口を酸っぱく指導され、正解の丸暗記が通用しない時代だった。
後日、保護者から「理科が嫌いになった息子が、理科好きに戻ってくれた」と感謝の手紙が学校に届いたのは望外の喜びであったが、「太陽定数」を教わった経験のない私が率先してはしゃいでいた気もする。
2024.12
第3回 街路樹の不思議(脳みそシリーズ:平岡学級不定期のクイズ形式課題)
平岡 信之(京都市/小学校/専門教科:社会科)
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私は、かつて亀岡市の小学校に勤務していました。通勤には相当の時間がかかりましたが(高速道路を使って渋滞がなく順調にいって50分)、楽しみもありました。それは四季の風景の移り変わりや、乙訓(長岡京市)・京都市・亀岡市の景色の違いを楽しむことができたからです。
特に丹波の秋の山霧は全くの別世界でした。亀岡盆地の中は本当に真っ白です。千代川のインターチェンジを下りて勤務校に向かうためにもう一山超えます。そうすると山霧は少しずつ薄れてきます。ちょうどシルエットが浮かび上がるくらいになります。鹿を見たこともあります。はねられたかわいそうな鹿も何回か見ました。朝の全校集会で校長先生が「はねられた鹿はかわいそうですが、痛みで暴れたりすることもあるので決してさわってはいけません。」というお話をしたこともありました。本校では考えられませんね。私が勤務した3年間にも鹿、熊、猿、猪、不審者とでました。共通しているのは不審者だけですね。(長岡京市の学校に勤務していた時は猿がでたことがありますが)
朝、登校指導に行くときは7:00にはポイントに立っていないといけません。私の分担していたポイントは学校からおよそ3Kmのところにあり朝靄(あさもや)の中に登校班の姿がぼんやり見えてくることが何とも言えずにファンタスティック(幻想的)でした。
さて、今回の問題ですが勤務校に着くまでに街路樹の中を何度も通り抜けます。最も美しいのは洛西ニュータウンを抜ける時です。特に洛西高校の前の通りは美しいです。春の芽生えに始まり、初夏の新緑、秋の紅葉、木枯らしが吹いて街路樹は冬の装い(よそおい)となります。ある朝信号待ちをしているとボランティアの方が落ち葉を掃いておられました。通りがかりの小学生が声をかけました。(京都市は登校班がないのか?それとも年中走っている駅伝チームかな?)
「おじさん。ごくろうさま。でも大変だね。」
「はい、ありがとう。大変だけどしかたないね。」
「そんなに大変なら葉っぱの落ちない木を植えればいいんじゃないの?」
「はは、そうするとおじさんは楽だけどねぇ。葉っぱが落ちる木には意味があるんだよ。」
「どんな?」
「それはね........。」
ということでおじさんの答えを考えるのが問題です。ちなみに洛西の街路樹はポプラやイチョウだったと思います。もちろん葉っぱの落ちない木の街路樹もあります。あるお寺に続く街路樹はうっそうとした杉並木でそれはそれで、歴史を感じさせてくれました。
Q1 葉っぱの落ちる木、葉っぱの落ちない木をそれぞれ漢字三文字で答えなさい。
葉っぱの落ちる木→□□□
葉っぱの落ちない木→□□□
Q2 街路樹に葉っぱの落ちる木を植える理由(目的)を考えて下さい。
Hint「冬には葉っぱはいらないということですね」
街路樹にはどうして落葉樹を植えるのか?
夏は木陰を作り、冬は日光を通して暖かさを確保するため。そうすれば家でも照明や暖房にかけるエネルギーを節約できるように思います。
2024.11
第2回 モノ・コト・エネルギーのつながり
葛生 伸(福井/高等教育機関/専門教科:物理・技術者教育)
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40年前、生まれ育った関東を離れて中国地方の化学会社に就職した。約3ヶ月の新入社員修の後半に工場の自家発電所である「動力部」で現場実習をした。製造部門ではなかったが、今思えば貴重な体験となった。動力部は電気のほかに水蒸気、純水(脱イオン水)も工場に供給していた。
発電では発電量と消費量を瞬時に一致させる「同時同量」が要求される。これが崩れると周波数が安定せず最悪の場合は停電となる。この工場では、電力のほとんどは食塩の電気分解による苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)製造に使用されている。消費電力が安定しているため、無駄が少なく発電コストが低く抑えられていた。
燃料の石炭は微粉末にして、空気とともにボイラーに送り込み燃焼させる。燃焼後のフライアッシュとよばれ微粉末の灰となる。大気汚染防止のため、静電気力を使用して回収する。フライアッシュは同じ敷地内のセメント工場で原料に混ぜて、フライアッシュセメントとよばれる、強度の高いセメントの原料となった。大気を汚染する亜硫酸ガスとなる石炭中の硫黄も肥料などの原料として使用されていた。
発電機のタービンを回す水蒸気には純水を用いる。純水でないと、水の中のミネラル分が配管に沈着して、破裂の原因になるからである。そのため、工業用水(河川の水)をろ過した上で、イオン交換樹で金属イオンを除去する。化学工場では大量の純水を使用するので工場内にも供給している。
純水とともに水蒸気も工場に供給している。電力会社の発電所では、水蒸気を海水などで冷却して水に戻して再利用している。原子力発電所、地熱発電所でも同様である。地熱発電所や海外の火力や原子力発電所は内陸にあることが多い。そこで、太い煙突のような冷却塔で冷却している。無駄なように思えるが、水に戻さないと水蒸気の流れを作れないからである。一方、化学工場では水蒸気は水に戻さず工場に供給している。
電力の大部分は食塩を電気分解による水酸化ナトリウムの製造に使われていた。電気分解によって塩素と水素も発生する。塩素は塩化ビニルなどの原料として使われている。当時水素はあまり用途がなく、一部は発電所のボイラーに戻して燃焼していた。入社後2年後、関連会社に出向することになった。そこでは、その水素を燃料として製品を製造していた。
1ヶ月半の実習では、発電プラントの運転、配管や電気系統は全く理解できなかった。しかし、そこで生成される物質や電力、熱などを有効利用していることを学ぶことができた。現在問題となっている二酸化炭素こそ回収できていなかったが、煤塵や酸性雨の原因となる物質も原料としていた。具体的な話は後に譲るが、今後の資源の有効利用や環境改善に対する多くのヒントがその中にあるものと思っている。
2024.10
第1回 エネルギー落語コラム~深みを与えるエネルギー環境教育~
山野元気(大阪府八尾市/公立小学校教頭/専門教科:算数・理科)
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誠にありがたいことにございまして、コラムを通じて一生懸命のおしゃべりでございます。
私、エネルギー落語絵本作家兼公立小学校の教頭をしております山野元気と申します。
今回はエネルギー環境教育をしたら先生らにとってどんなええことがあるかについてお話しさせていただきます。
さて、先生方は忙しい忙しいと、昔からずっと言われておりますが、最近はより顕著に叫ばれておりますな。忙しいだけやのうて、カスタマーハラスメントやいじめ問題など、嫌な情報ばっかりが報道されてますけれど、現場におるもんからしたら、「確かにおっしゃる通りやな」と思う反面、子どもらとゲラゲラ笑って、本気でぶつかって、最後に一緒に泣いてってやれるのも教師の魅力であることを報道して欲しいなと思いますな。
エネルギー環境教育なんてやらんでも、ええ先生はええ先生やし、「他に教えなあかんこともぎょうさんあるから新しいことなんてようせんわ。」って思うのが普通やと思いますわなぁ。でも料理に例えて言わしてもろたらこういうことですねん。「”しょうゆ”なんてなくてもうまいパスタは作れるし、イタリア料理やフランス料理もあるから、今さら”しょうゆ”使った料理なんかようしまへんわ。」って。
確かにそうやけど、「おたく、えらい損してまっせ!」って思いまっしゃろ?
エネルギー環境教育ってそういうもんですねん。日本人にとったら、”しょうゆ”と同じくらい身近で重要なもんやのに、自分らはその価値に気づいてないんですわな。
エネルギー環境教育で1番大切なのは、安全を前提として3つのバランスを考えることです。それが経済、安定供給、環境の3つですな。環境について考えるのは学校の得意分野ですけど、環境教育だけ受けた子どもらは「地球を守ろう!だからエコしよう!」で終わってしまいます。
エコで地球救えたら、簡単なもんですなぁ。お金かかってもエコなもん買って、時間かかるけど歩いて旅行して、寒さに震えて、暑さに耐えて・・・子どもらは素直やから、ほんまに地球救おうと思って、電気消して勉強しようとしてますし、エアコン消して汗ダラダラ垂らしてます。そんな生活、みんなができるかいな(笑)
でもエコしよう!ばっかり教えてるのが今の学校の環境教育ですわ。まさにエコひいきですな。
エネルギー環境教育は、そこに経済と安定供給の視点を入れてくれるのがいいところですな。環境によくても高かったら選ばれへんし、安定供給が今の生活を支えているありがたさに気づいてから、環境について考える方がより深い学びにつながりますわな。「エネルギー環境教育したら、環境教育がより深い学びになる」っていうた方がわかりやすいでんな。
それって、多面的多角的な視点で物事を考える力で、これからの社会を生き抜く力としても必要な資質能力やと思います。
せやから最後に言いたいことをまとめますと、
エネルギー環境教育 とかけまして しょうゆ とときます。
その心は しこうに(思考・嗜好)に深みを与えます。
お後がよろしいようで。
2024.9